新しい日本語学入門 / 庵功雄

これを書き終わるまでが宿題だと思って…

さて、大学の課題で読みました。
強制されなきゃ自発的には読まなかったと思います。
それくらい専門外の分野でした。
時間にも追われ、1日もかけず、超特急かつ丁寧に読破。
 
なんとまあ日本語は複雑な言語なのでしょう。
そしてそれを習得したり研究する際に、
他の言語と比較する事の無意味さ、
さらには数学的方式に文法や活用を当てはめようとすることの無意味さ。
言語とは例外を多く持つものなのです。
日本語は特に。
この自由な語順。
おっと。
急に自分の書いた文章を分析したらどうなるだろうと想像したら怖くなった。
 
宿題として書き上げたレポートからいくつか抜粋して
この本のまとめとしたいと思います。
 
それにしても日本語学を研究されている教授はすごい。
というかあの授業はすごい。
あの先生は日々形容詞についてばっかり考えているのだろうか。
活用とか、誤用とか…
日本語学のイメージは、
すでに完成されたとてつもなく巨大で複雑なアート(オブジェ的なもの)を
細かく解体して、色や部品の性質や大きさや匂いなどで分けて、
それぞれの引き出し(あるいは段ボール箱のようなもの)に
いかにキレイに整理整頓して収納するか、という作業。
あたしは嫌だ。
なぜ完成されたものを解体しなくてはいけないのだ。
そのバラバラにされた小さな部品から
一体何が見えると言うのだ。
それよりもやはりいつも独創的な作業の方が面白いと思う。
この場合で言えば、全く逆のパターンとして、
新しい言語を創り出す研究とか。
とにかく、あまり面白みのない研究分野だなと思ってしまうのですが、
それでも今回このように必然に迫られながらも
日本語学の分野に足を踏み入れてみたことは、
非常に貴重で重要な機会だったと思うのです。
なので、この機会を与えてくださった先生に感謝。
そしてお願いなので単位、ください。
 
以下、自分のレポートよりコピペ。
 
 …この本の大きなクライマックスであるのが、早くも第4章ではないかと私は考える。第4章では活用について述べられているのだが、学校文法で習得する活用表を外国のものと比較し、批評し、新しい活用表を提案しているのである。批評の内容というのが、日本の活用表の中には語幹しか記されないが、外国のもの(この場合では例としてフランスのもの)は会話文の中で使われるような動詞の形がそのまま記されている、ということである。引用をすると、
例えば、学校文法では「書いた」を「書い」と「た」の2語と考え、活用表には「書い」だけを(「書き」の音便形として)入れています。しかし、これは英語で言えば“play”は1語だが、“played”は2語と言うようなものであり、外国語との比較という点からも奇妙ですし、日本語教育においても有害無益です。(p.52)
 とある。このようにして理想の活用表を発案してみた、とのことだが、その活用表もまた奇妙なのである。従来の未然形・連用形・終止形・連体形・仮定形・命令形を分割、解体し、新たな活用形を加え、合計14段の活用表が掲載されている。さらにそれぞれの活用として記されている動詞がすべてローマ字表記であり、語幹と語尾の間にハイフンが入れられ、語尾として続くローマ字の最初の音が子音であれば、語幹の最後のkはiに変わって発音される、といった具合である。理想的な活用表というように書かれているので、この表を学校文法において実用化するべきだと主張しているわけではないのだと思うが、そうでなくてもあまりにも非実用的なのである。まず、日本語という言葉が他の外国の言語と大きく異なっていることは、自他共に認めていることであって、フランスの動詞の活用表だから日本の活用表も語幹だけではなくてすべて含めるべきだ、となる発想があまりにも安易ではないかと思う。さらに正確に表記することを追求した挙げ句ローマ字表記に頼らざるを得ないのなら、それは本末転倒ではなかろうか。ただでさえ規定に当てはまらない活用をする動詞が多い日本語において、合計14個の活用形に活用させるということは、今まで以上の数の例外を生むだけにすぎないし、14個にも活用させて動詞同士を比較したり追求する必要は、学校文法の域を明らかに超えていると考えられる。さらに日本語独自の「丁寧な形」という活用形を導入するので、動詞だけでなく形容詞も未だかつてないくらいの混乱を見せている。学校文法ではシンプルな形で過不足ない動詞や形容詞の活用方法を習ったと思う。たとえ語幹だけが記されていようとも、人々はそれが語幹であって、それだけでは言葉として成立し得ないことくらい理解しているし、動詞が1語である、または2語であるという定義についての問題を考慮するのならば、その解決策は活用表ではないはずである。

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