孤独の発明 / ポール・オースター

これは去年の夏のレポートで読み込んだので、その時書いたレポートの内容を簡単にまとめることで書評に代えたい。
いや、書評というほど大それたものではないけれど。

家と人間は似ている。
住む人がいなければ、家はただの木造(またはコンクリート)建築物であって、それは家としての義務や責任を果たしていないことになる。
人間については、骨や皮や肉などは、魂の入れ物にすぎず、意識なくしては人間と呼べない。

さらに家と人間は心境や動向を共にしやすい。
家族が増える時に新築の家を建てるように。
そして夫婦が住み続け、老夫婦になるころの家は比較的古い。
照明も暗くなり、壁には汚れや匂いが染み付き、中に住む人がなくなるのと同時に売りに出されて壊されたりする。
家と人間は共に生活している。相互依存である。

自分がゆったりと落ち着ける家庭環境を持つ、ということは、その人物の精神面に反映する。
内面も落ち着いて、または整理整頓されていて、明るく、ポジティブである、というのは、その家を反映しているはずである。
同時に、おこりっぽく、投げやりで、感情がごちゃごちゃしている、という人は、そういう家に住んでいるのかもしれない。
性格を変えたかったら家庭環境を変えるべきだし、家の雰囲気を変えるためには、自分が変わらなくてはいけない。

さらに家の中の備品は、その人自身なのである。
オースターにとって、父親のネクタイが父親そのものであったこと、ネクタイをゴミ捨て場に捨てたことが、彼にとって父親の埋葬であり、はじめて泣きそうになった、ということ。
あたしにとっても、あの黄色いヤニに染まった壁紙は、おじいちゃんそのものであった。
もしあの壁紙を全部外して燃やしたり、さらには新しい純白な壁紙を貼ろうということになっていたら、それはそれでまた別の涙を流したであろうと思う。
幸い、そのような場面に立ち会わずに住んだ。
あの家は、庭は、急だった階段や、本ばっかりの二階、物悲しいお風呂、コットンが可愛くて大好きだった祖父母の寝室、あまり立ち入ることのなかったお勝手、全部、どうしてるかな。
想像するだけで悲しい。でもやはり、そういうことなのだ。
祖父母、という二人組はもう解散してしまった。なくなってしまった。
それと同時にあの家もなくなってしまったのだ。
生き残った祖母は新しい土地で新しい人たちと生活を始めた。
それは祖父母から祖母への、家を伴った変化である。

というところで論が終わっている。
あはは。教授にも指摘されたけど、確かにこれは論にはなっていないな。
言いたいことはわかるけど、支離滅裂だし、学術的ではない。
半年経って、自分の書いた論文をそういう目で見れるようになった、ということに、とりあえず。

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