
これはもう、一度読むだけでいい。
昔付き合っていた彼が『アルケミスト』を人生のバイブルだと大絶賛していて
コエーリョの作品をいくつかまとめて買ったけど、これはとくに、なにも。
1度目に読んだ時の所感を、細かくメモしてあったので、
それを書き写して終わりにします。
大切なのは、一生読めるか、とか、そうでなくても、もう一度読みたいか、だと思うのですが、どうにもこうにもこの本に関してはそういう感想を抱かなかったのだ。
だから、どんどん次に進みます。
曲は夜作ろう。
以下、2009年4月26日の所感。
マリーアの、知らないことを知らない、と素直に言うところ、
そしてまたそれについて足りない知識を補おうと努力するところがとても好き。
日記を書くところも共感が持てるし。
一晩、というけれど、セックスになんか、11分間くらいのもの。
セックスを汚らわしいものだとして(売春婦)、それは本当はいかに美しいものか、ということを、延々と語っているような気がした。
そもそも、あたしにとって、セックスとはキレイかキレイじゃないか、とかではなくて、個別として存在しないものだから、判断できるわけがない。
なんでもないもの、特に意味を持たないもの。
あってもなくても同じ、でもあったほうがちょっと幸せ。
それに神聖な意味など持たせてはいけない。
と、そう信じていたいだけかも。
マリーアのリオ・デジャ・ネイロに行くまでの学生の頃の描写が一番好きだ。
かわいくて好感が持てた。
そしてあの話が出てくるのだ。
217ページから218ページにかけて。
それが忘れられなくて
2011年2月4日にtwitterでつぶやいた内容。
「ギリシャ神話でアンドロギュノスの話を知っていますか。古代の人間は頭が2つあって、手足が4本あって、まるで現代の人間が2人背中合わせにくっついたような形をしていました。ゼウスによって半分に切り裂かれたその身体は今でもお互いを探し求め合っているのです。」
「男と男、女と女、男と女がくっついたもの、の3種類があった、というのが、この話の素晴らしいところです。」
そしてここからは本日の意見。
つまり、このギリシャの話が、小説の中で細かく描写されている。
あたしは初めて知ったから、なかなかの衝撃だった。
なんだかあまりにも合理的で、それでいて神秘的で、泣きそうになった。
『アルケミスト』をバイブルだと信じる彼に伝えたかった。
「この話、知ってる?」と聞いたら、もちろん彼は知っていた。
(ちょっとがっかりした)
あの頃、あたしはどれだけ本気で彼とあたしがまさに昔ひとつの存在であったと信じていたことでしょう。
おなじくらいすべすべする肌のぬくもりや、同じくらい細くてひょろい腕や足を見ていたら、本当におんなじ素材でできている、と信じることができた。
そんなあたしの半身を自分の意志で遠い遠い存在へと押しやってしまった。
当時のあたしがこの神話を信じていた、という事実が信じられない。
もう、そういうばかげたことは信じないようにしよう、と決めた。
夢は見ない、浮かれない、ちゃんと地に足付けて落ち着いて21世紀のこの現実を見る。
ギリシャじゃないんだから、もう。
あたしはいつも、どんな幸せな時も、心の中でひっそりと、最高に悲劇的な別れを期待している。
心臓がえぐり出されて、冷水に浸けられるような。


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