海のふた / よしもとばなな

挿絵を担当している名嘉睦稔さんの作品が観たくて、この小説を手に取った。

きっかけは些細なことだったのに、めちゃくちゃ、最高によかった。

久しぶりにお盆に帰省した、祖母の三回忌を迎える実家で読む本ちゃうな。

水のようにするすると染み込んできて、毎晩涙を堪えるのが大変だった。

目が腫れるからね。

久しぶりに吉本ばなな(この本は、なぜか全部ひらがなで よしもと ばなな と表記されている)の小説読んだ。

いいなあ。やはり、なんだかんだ、女流作家は染みる。

感性が似ている。江國香織とか。

彼女たちが美しいと思うものはたいてい、私にとっては美しすぎて困る。

「まりちゃん」と「はじめちゃん」と、ずっとひらがなで表記されているのが、ずっと優しかった。

そうか、だから よしもと ばなな もひらがな表記なのかな?

読みにくくない程度にひらがなが多いと、すごくすごく優しい文章になる。

丁寧で、嘘偽りもないように見えるから不思議だ。

確かに、漢字ばかりで飾り立てられると、完全武装で胡散臭く感じるのかも。

すごい。

ひらがなのパワー、すごい。

はじめちゃんは、最初は男の子なのかと思った。

そしてもっと小さい子なのかもと思った。

はじめちゃんは細くて、だからイメージはそんなに変わらなかったけれど、はじめちゃんが話すことは、真実の的を得ているようで、年齢は分かんないけど、しっかり自分を持っている子なんだなと思った。

はじめちゃんを癒して、守ってあげることが、まりちゃんの役目だったのに、全然、まりちゃんも助けられたり、救われたり、成長していくのがいい。

本当にふたりが気の合う友達で、母親どうしが親友、という理由で出会うのも素敵だし、低俗な私の言い方で言う「おまえはおれか」状態がたくさんあって、心と心がギュッと結び合っている様子が、すごくいい。

あと、まりちゃんの住む街の描写がいい。

故郷の西伊豆。昔は観光で栄えてたのに、時代は過ぎ、寂れて悲しい街になった。

海も悲しくなった。

なんで行ったこともない街が、こんなにリアルに思い浮かぶんだろう。

名嘉睦稔さんの挿絵がものすごく、スーパークリーンヒットしてた。

彼は沖縄の離島で生まれて、海をよく知っている人だからだろう。

『海のふた』というタイトルもめちゃくちゃいいし、実際に原マスミさんという方の名曲らしい。

なんかもう、そういうリンクの連鎖がとても美しい。

あとがきを読んでいたら、確かスイスの時計会社の社長に依頼されてこの小説を書いたと書いてあった。

水のような連鎖だ。

おばあちゃんのことを思い出したし、実際になんとなく悲しく感じた故郷を思った。

私の故郷は、多分言うほど寂れているわけではないけれど、でも東京から実家に戻るといつも物悲しくなる。

そこはまるで時の流れがすごく遅いようで、取り残された田舎のように感じてしまうのだ。

そんな田舎じゃないのに。東京があまりにも目まぐるしくて煌びやかだから。

物悲しい、という表現がぴったり合う。

そこに暮らし続ける両親や祖父が、どんどん歳を取って衰えていく現実から目を逸せないのも、また悲しい。

セミが鳴いても鳴かなくても、晴れても雨でも、朝でも夜でも寂しい。

私がもうそこで暮らしていないということ、東京に戻る日が着実に迫ってきているという、否定しようのない現実がガツンガツンと私を攻撃してくる。

なんだか一人だけ東京に住んでいるのがちょっと悪いことをしているような気になって、ごめんなさいと思ったりもする。

だからまりちゃんみたいに、故郷に帰って、小さくても素敵な自分の居場所を築き上げて、そこに親がいて、元彼がいて、さらに、不特定多数(少数?)の人と関わりあえる生活なんて、なんて素晴らしいことなんだろう、と、頭があがらない。

もし私がそんなことしたら、それでも両親はずっと喜んでくれる気がする。

私が東京で暮らすことに比べたら。

資産家だったおばあちゃんが死んじゃって、親族の醜い争いから逃れてきたはじめちゃんは、まりちゃんと一緒に時間を過ごすことで、ちゃんと自分の両足で立てるくらい元気になっていく。

ある夜泣いていたはじめちゃんはまりちゃんの部屋で一緒に寝て、朝、まりちゃんの落書きを見つける。

不思議な生き物。

「すごい、なんだかわからないけど、この子たち、生きてるね」

めっちゃ良い。

そしてはじめちゃんはまりちゃんの書いた不思議な生き物のぬいぐるみを作る、という、素敵な目的を見つける。ネットで売るんだって。

それはもうライフワークになって、この先のはじめちゃんの人生を明るく導いてくれるのでしょう。

そしてそのおかげで、まりちゃんとはじめちゃんの友情は、末長く続くのだ。

よかったね、本当に、出会えてよかったね。

そんな夏を私も過ごしてみたかった。

現実はあまりにもシビアだ。

逃げ出したいけど、どこへ逃げるのも悲しい。

実家に戻っても、おそらく東京を恋しく思って泣くでしょう。

でも私は今、実家を恋しく思って泣いている。

どこに行けば、どこにいれば、心から幸せと思えるのか。

誰といれば。

よく分からない。

この世界は、私にとって、全体的に物悲しい。

いつ、どこで、だれと、何をしていても、ずーっと物悲しさが付いてくる。

私は多分、もうずっと、海のふたを閉めないまんま、開けっぱなしで、だから、すっきりしないんだ。

でももうふたの閉め方なんて知らないし、ふたなんて無くした。

この物悲しさと一生一緒に生きていくような気がしてる。

いつもいつも物悲しい。

ものがなしい。

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