Fukushima 50

やっぱりあの津波は、私たちの心に大きな傷を残した。

特に、震源地付近でもなく、揺れを大きく感じた関東でもなく、大阪の実家で長い春休みをぬくぬく過ごしていた私にとっては、テレビ画面に映る現実が今起こっている全てであり、繰り返し映されるあの津波のシーンは、やっぱりやっぱりトラウマになっているのだ。

何度も止めてしまって、観るのしんどかった。

それと同時に、原子力発電所の事故について、あんなにテレビで説明されていたのに、半分も理解していなかったのだと知った。

この映画を観ながら、ベントなど初めてちゃんと知った。恥ずかしい。

賛否両論はあるみたいだ。

でも、一般の人には決して見えなかった、原発の中の人たちが、ああやって闘ってくれたのだと、私たちは信じたいのだと思う。

悪いのは東電か?国なのか?

想定外の大きい地震によって、想定外の高い津波が来た、というところまでは、もうどうしようもない気がしている。

調べると、所長の吉田昌郎さんは、2002年の時点で、大きい津波が起こりうる可能性を提示していたらしい。それでも上が動かなかったのは、もちろん責められるべきところであろうけど、いったんしょうがないとしよう。

実際に、地震が起きて、津波に襲われてしまってからの、対応はベストで最短だったのか?が、怪しい。

いろんな邪魔が入ったし、電気が合わないとか、もう!ってなる。

自衛隊の人たちにも、うまく指示出せて無かったのではないか。

でも所長は闘ってくれてた。

吉田昌郎さん、いいなあ。実際の人についても調べてみたけれど、親分肌でリーダー気質、って、映画のまんまだなあ。

これが渡辺謙かあ。あんまり見たことなかった。かっこいい。

彼のことを「よしやん」って呼んでた伊崎は、実在の人物ではないらしい。

当直長だった2人のモデルを合わせた人物。

そうだよな、みんな家族がいて、でも若い者に現場には行かせられないって、手をあげる人たち、本当に決死隊だよなあ。

映画に出てくる人がみんなわりと常識的に描かれてたけど、本当はもっと悲惨だったんじゃないか。

避難する市民だって、避難所だって、きっともっととんでもないことになったはずなんだ。

最後、あれ?と思ったのは、いったん避難所に戻ってきた伊崎が、避難所の人々に謝るでしょ、こんなことになってしまってごめんなさいって、そこで、おじいさん(泉谷しげる?)が、いいんだよ、闘ってくれたじゃないか、ありがとう、なあ!みんな!みたいになるじゃん。

あれが、もしそうじゃなかったら、悲劇だと思うのよ。

おう!本当だよ!なんてことしてくれてんだ!って言い出したら、みんな、そうだそうだってなってたと思うの。

まあ、一番最初に、ありがとう!って言ってくれたらから、みんな、そうなのかも、って思った(そういう気持ちもあった)と思うけどね。

あそこで扇動してくれる人の一言で、結末が大きく変わった話。

しかもそれは本当に些細な加減で。

あと、一番最後、よしやんのお葬式が終わったあとで、2020年の東京オリンピックはこの福島から聖火リレーが始まる、って書いてあったのも、なんだか切なかった。

オリンピックは、復興とかあんまり関係なくなって、目先のコロナのことで精一杯で、あの頃、被災地の人や、日本や、世界の人が描いていたように美しいものではなくなってしまったのだよ。

そこまで含めて辛い。

原発の事故に関しては、もっと本を読みたくなった。

あと、チェルノブイリについても。

なんとなく、ここ2年、コロナコロナで立ち止まって考えられなかったけど、被災地の人たちは今どこでどうしているんだろう。

被災地は今どうなっているんだろう。

次から次へといろんなニュースが舞い込んでくるから、先週起こった劣悪な殺人事件だってふっと忘れてしまうように、私たち、忘れてしまっているのではないだろうか。

忘れないこと、そして何ができるんだろう。

繰り返さないことはもちろん、やっぱり原子力なんて危険なパンドラの箱は、開けるべきではなかったんじゃないか。

でももう開けてしまっているし、日本にはいくつもある。

例え運転をやめても、キレイさっぱりなんてなくならない。

ここ最近では、冷却に使った水を貯めておけなくなって、海に流すことが決まった。

一瞬の被曝よりはマシなのかもしれないけど、逆に長きに渡って私たちをじわじわと殺していくことになるのかもしれない。

どちらがいいなんて分からないけれど、どちらにせよ大勢の人が苦しむのだ。

そう考えると、原子力なんて、絶対ダメだったのに。

街のアーケードにある「明るい未来」みたいなスローガン、悲しいよねえ。

当時、原発を推進した人がいて、街の人たちや日本の人たちは、みんな洗脳されていたんだ。

こんな地震が多い国で、どうしてそんなフラジールなものを扱おうという気になれたのか。

チェルノブイリの事故があった後だって、どうして自分たちは大丈夫と思えたのか。

安くてたくさんの電力を作れる魅力は分かるけど、どうしてもうちょっと長い目で見て発展の余地があるような、電力源を探そう(産み出そう)と思えなかったのか。

エネルギーのことは詳しくないけど、やっぱりそう思ってしまうよ。

映画の中では、地震や津波や原発まわりの事故で死んだ人は描かれていなかったけれど、嘘だ、いっぱいいたでしょう。

複数回の爆発で、みんな大丈夫だったの?

最初に津波に遭って地下に逃げ込んできた二人だって、危なかったし、他の人たち、何人か死んでたでしょう。

手動でハンドルを回したり、値を確認に行く人が、片道切符みたいな神風特攻隊になってしまうのを、本人たちに行くしかないと思わせてしまっていることが、戦争みたいな人災なのよ。

当時の首相誰だっけ、菅直人、そうか、もう読み方も忘れるくらい、忘れてた。

こうやって風化してしまうのか、私が若かったから、ぼんやりしているのか。

悔しい。今の政治も、悔しい。

常にどこかで誰かが首を絞められて苦しんでる。

いつもそれが私でなくて良かったと思いながら、明日は我が身とも思う。

みんなが幸せに、なんて理想を、持ってることが間違いなのだろうか。

なんだか、ダウナーになる映画だった。

伊崎役の佐藤浩市も初めて観たけど、いいね。

背が高くてかっこいい。

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