
やはり、本を所有するのは、嬉しい。
中古で買ったボロボロの本でも、愛着がわく。
借りると、たくさん読めるけど、買うと、雑に読めるのがいい。
というわけで佐野洋子シーズンはもう少しだけ続く。
90年に出版されたエッセイ集。
他の本にもここから転載されていたりして、そのまま読んだことがある文章もあるし、書き方は違うけど、この話知ってる、なんて文章も入ってる。
ここまでくると、もう友人のような気持ちになる。
あ、その話、聞いたことあるけど、まあいいや、もう一度聞くよ、という気分。
佐野さん本人も分かっているようだけど、やはりお兄さんの存在がキョーレツだったのだね。
若いまま、大好きで憧れていたまんま死んでしまったから、お兄さんの存在はそのままで、それが、呪いのように佐野さんに取り憑いている。
生きていたら、東大に入れていたのだろうか、と書かれているのが、冒頭の方のエッセイ。
歳を取って、喧嘩をしたり、幻滅したり、疎遠になっちゃうかもしれないのに、死んでしまった人の存在は、自分の中では永遠になるから。
私が思う彼は、決して死んではいないけれど、記憶はもう、10年前のまま、キラキラし続けている。
現実と向き合って、この気持ちが消えてしまうかもしれないのが、怖い。
大学の時に好きだったというGちゃんの話がよかった。
ライター屋で一緒にアルバイトしたけれど、Gちゃんが全部やってくれて、佐野さんは鉛筆を削ってあげたけど、それすら削り直された、というGちゃん。
実らぬ恋。
あとは最後のエッセイ「朝目がさめたら、風の吹くままに」が、佐野さんの真骨頂なのだと思う。
スッキリと一言では語れない佐野洋子という人間を、本人が本人の言葉でこんなにもたくさん語ってくれている。
結局、こういうことなのだろう。風の吹くままに、かあ。佐野さんらしいや。
嫌いな言葉。生きざま、翔んでる、翔ぶ、開放、女性の自立。
そんな言葉が必要ないくらい、佐野さんは全てを体現して生きている。
理論はない。正しいも間違っているも、ない。
何かも分からず結婚して、子供ができてしまい、感じた不安。
産んだ瞬間から、世界で一番愛し続けた息子。
佐野さんは、自立しているし、サバサバしているようでかっこいいけれど、女としては子供を産むべき、子供を産んでこそ一人前、という考えがあるように思う。
私の母もおんなじことを言っていた。時代もあるのかもしれないが。
そうなのか、やはりそうなのか?
だとしたら、私はまだまだ半人前だし、この先ずっとそうかもしれない、と思うと、なんだか後ろめたい気持ちになる。
佐野さんは、幼い時から別に猫が好きではなかったらしいが、4歳の息子が猫を痛く気に入ったので、猫を飼うことにしたらしい。
しかも、一匹も二匹も変わらん、と言うことで、二匹も。
かっこいい。
好きであれ、嫌いであれ、ちゃんと体験と思い出があるから、佐野さんの世界の中に猫がしっかり存在していたから、あんな絵本が描けたんだろう。
ただの猫好きじゃ描けない。そんな気がする。
自分の幼い頃をぼんやり思い出してみたりもするが、重なる思い出がなに一つない。
佐野さんの思い出は全部想像することしかできない。
でも確かに私はそこにいる。
佐野洋子の目を通して、その世界を見れる。


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