
広島に原爆が落ちてから終戦までの数日間をみっちり描いた小説。
学校の授業で『山椒魚』というタイトルだけ覚えさせられたけど、読んだこともないまま初めて手に取った井伏鱒二の本がこれだった。
どんな人なのだろうと思って今画像検索したら、将棋のひふみんみたいな可愛い丸いおじいちゃんではないか。
主人公の重松は本人じゃないのかと思うくらい、被爆した広島の街の様子が、事細かに描写してあった。
一体どうやって。
1945年は甲府に疎開していたらしい。広島生まれではあるが。
と思ったら、実在した重松さん(苗字)の日記をほぼそのまま使っていたらしい。
であれば、納得。OK。
それについて猪瀬直樹がこの作品の価値を全否定したらしい。
後書きの河上徹太郎さんの文章が良かった。
「かけがえのない下着を選択するために叔母と一緒に川へ行き、川原の石の上でそれが乾くまで二人で手拭いを腰に巻いて水につかっているという図は、ほほえましいとかいじらしいとか言うのを通り越して、この行水に何か宗教上の行事のしんせいさのようなものまでを感じさせるのである。」
本当にねえ。
素敵なシーンなのである。
重松も、とてもいい、頼り甲斐のある男であるし、嫁のシズコと、姪のやすこは、本当に従順で可愛らしい。
「実際のところ、原爆に遭わねばこの一家は小説としては手の下しようもない平凡な人たちであろう。」という意見も、本当にその通りである。
シズコは、先が長くない気がする。
やはり黒い雨に打たれて、多分若さゆえに、どんどん病は進行していくのであろう。
頬に傷を負って、原爆の痛みを抱える重松より、先に死んでしまうのかもしれない。
結末ま描かれていない。
重松が空に祈るところで、この小説は終わる。
情報としては知っているけれど、はだしのゲンも読んだことないし、原爆という過去に向き合ったことがない。
ので、こうやって文章で読むのは新鮮であった。
日本人としては恥ずべきことなのかもしれないけれど。
当時の広島の人たち、というか、日本中、いや、世界中の人たちが、何が起きたのか、全く把握できてなかった。
世界が忘れてはならない傷を負った。
繰り返してはならないし、忘れてはならないし、避け続けなくてはならない。


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