
実家に眠っていた本を連れてきた。
アメリカの不思議な図書館で働いている男性が、世にも美しい女性と出会い、恋人になり、半同棲状態になり(だって彼女は自分の家はあったのだ)、妊娠してしまい、堕胎するためにメキシコのティファナまで行って、無事に堕胎してアメリカに戻ってきて、そしたら図書館の仕事をクビになってしまい、でも彼女は幸せそうで、何だかハッピーエンドな話。
この図書館の館長としては35か36人目、という曖昧な設定で、その当時アメリカではジョンソン大統領が35代目か36代目のアメリカ大統領であやふやだった、という時代背景がある。
クリーヴランド大統領をどう数えるかによって、どちらにもなるらしい。
つまりこの図書館はアメリカという国の暗喩と考えることができる。
内気で情緒不安定な図書館員はアメリカの大統領にあたり、本を持ち込んでくる連中はアメリカの市民ということになる、と。
いつも思うんだけど、あとがきや解説から学ぶことが多すぎる。
本当に私は知識がないまま本を読む。そしてその本と後書きから大事なことを学んで、大抵はまた本を読み直したくなる。
事実がいかに様々な形態で描写されているか、を、まじまじと感じる。
それが小説でもいろんなジャンルで描かれているし、同じことが絵画や映画で描かれるのだ。
その度に、大きな世界の、小さなピースを見つけた気分になって、それでもこの国々の多さと、積み重なる歴史の時間分のピースを全部見つけてパズルを完成させるのは、到底無理だと気付かされる。
結局、興味のある地域や年代のピースが分厚く重なっていって、そうじゃないところは、白地図のままなのだ。
でもそれでいい。これまで、当てもなく集めてきた手元のピースをまじまじと眺めて、自分が本当は何に興味があるのかを知る。順番は逆かもしれないけど、これが本能なのだ。


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