もういっこのほうのブログに書こうとしてやめた。
凝縮してツイッターに書こうかと思ったけどやめた。
これを書くべき場所はここだ。

大学に入るまで一切本を読まなかったあたしが
何所に行くにも本を持ち歩くようになって
自分が読んだ本についてこまめにブログを書くようになったのも
すべて大学時代の恩師のおかげだ。

それまで趣味は読書だという人に出会っては
わあーすごいねーいいね、などといいつつ
それでも本を読もうとしなかったあたしは
内心彼らのことを別世界の崇高な人と思っていたからだと思う。

本を読むようになって言えることは
本なんて誰でも読めるということだ。
何を今まで敬遠していたのだろう。
馬鹿でも読めるというのに。

本を読むのが好きな理由は
それをただ読むだけでいいという点である。
なんて非能動的で非生産的で非現実的な作業なのだろう。
あたしが読書にすんなり陥ってしまったのは
そういう作業に流れ出てしまうエントロピーのある生活をしていたからだ。

何もない休日になるとあたしはソファの上で
ただひたすら本を読みふけることが多い。
楽だ。文字を追いながらページをめくるだけで作業が完了してしまうのだ。
でもさすがに一日の終わりになると罪悪感を感じる。
明日はいつものあたしに戻ろうと思うのである。
すなわち、能動的で生産的で現実的なことをするのだ。
それはあたしの生き甲斐でもあり誇りでもありあたし自身である。
作品を生み出すということに苦しみを感じることはないが
それが少なからずエネルギーを消耗するということは間違いない。
だからあたしはヒマを見つけては読書に逃げてしまうのだ。
読書はあたしにとっての裏の世界であり、シェルターでもある。
でも本当のあたしは表の方なのだ。
何もないところからものを生み出すということをとても誇りに思っている。
多少の苦痛を伴ってもやめる気にはならない。
あたしは生む。
生産し続ける。

そうなると今では読書が趣味ですという人を
とても軽蔑のまなざしで見てしまうのだ。
生産しない人をとても見下してしまう。
そんなことを誇らしげに言うな。
悔しかったら小説を書け。
詞を書け。曲を作れ。
生み出せ。

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