
マリリン・モンローという人物が非常に気になった2022年。
今さら初めましてではあるが、今までなぜかまったく通らずに来たマリリンの映画をとても観てみたいという気分になった。
これは音楽と一緒で、どこかで誰かの曲を耳にして、いいじゃん、好き、どんな人が作詞作曲して歌っているのだろう、というパターンを1とすると、パターン2は、インタビュー記事とかバラエティ番組でそのアーティストの人となりを知って、いいじゃん、好き、どんな詩曲を書いて歌うのだろう、となる、ダブルサイド矢印パターンなのである。
わかるかな?
わかるよね。
それでいうと、私とマリリンは完全にパターン2なのであって、うーん、おそらく先人たちは絶対パターン1しかありえなかったから、このようにパターン2が可能である世代というのも、いつからか、どこからか、の、限定された年代に起きる現象であると言える。
そういう、マリリン初めまして世代を代表する私がこの映画をマリリン1本目として観て、とりあえず力の限りメモったのが下記の点である。
・オリンピック選手たちの水着
・ダイヤモンド=ティファニー、カルティエ、ハリー・ウィンストン
・ガスが幸せになってよかった
・パリのシーン、GUERLAINとか、BALENCIAGAの古いロゴ
そもそもこれがマリリン1本目で正しかったのかは全く分からないが、現時点で私は非常に満足しているということだけは記しておきたい。
えーと、まず、水着。
オリンピック選手だという筋骨隆々のイケメンたちと同じ船に乗るのだ。
マリリンはたいして、というか全く興味が無いのだが、相方のドロシーは、イケメンが大好き。
船のプールで、派手に選手たちと踊る。
(踊るのである。この映画は小説→ミュージカル→映画となったので、踊るのだ)
で、そのプールのシーンでドロシーは、お金なんて興味ないわ、かっこいい男のほうがいい、みたいなことを歌いながら踊るんだけど、その時にオリンピック選手たちが着ている水着がね、もう爆笑。
マジで私はムードを作りながら、しっかりと、私のマリリン初めましての1本目の映画を、マリリン初めましてにふさわしい感じで観ていたにもかかわらず。
だめだった、このシーンだけはムードもへったくれもなく、声をあげて笑ってしまった。
なんて水着はかされてんだ、君たちは。
これ、一体誰が共感してくれるのだろうか、いや、誰もしてくれないのかもしれない、と、本気で思う。
だってね、私、あの彼たちが履いている水着がちょーめちゃくちゃスーパー紐ビキニだと思ったのよ。
しかもめちゃくそくそくそローライズな黒い紐ビキニ履いてると思って、心底派手に笑ったんだ。
うそでしょ、ばかじゃん、と思ってたら、本当にそうだったのは私のほうで、彼らはしっかりした布面積のある水着を着用していた。
ということに数分後に気づいた。
ねえ、どんなデザインなん?
なんで肌色なん?
なんでそんなデザインなん?
もう、これは映画一番の爆笑ポイントであることに異論は許さない。
続きまして。
歌の歌詞に出てくる、ダイヤモンドの具体的名称について。
まあ、私ももちろん知っている名前がマリリンによって歌われる。
歌詞に出てくる順番が、1→3番なのかな?とか思っちゃった。
もちろんメロディーとか語感とかあっての歌詞だと思うんだけど。
やっぱりティファニーか、と思ったら、それを疑う理由なんてゼロだし。
とはいえこの映画、1953年のやつなんですけど、もう70年も経つのに、ブランドのイメージがそんなに変わっていないことに、揺るぎない屋久島の杉の木みたいな信頼感を覚える。
というか、ブランド自体がなくなったり吸収されたり併合されたりしていないことも、たぶんめちゃくちゃすごいのだ。
ティファニー、カルティエ、ハリー・ウィンストン。
うーん、心に刻もう、と思うよね。
こんなん、絶対ハリー・ウィンストンなんて嫌じゃん。
値段関係なく。
ブランディングとして。
ガスの幸せについて。
よかった。2人がうまくいってよかった。
ガスは登場シーンから最高で、やや私の父に似ていて、そういう人には幸せになってほしいと、条件反射で思ってしまうから、ガスがハッピーエンドでよかった。
ただそれだけ。
マリリンも隙が多すぎ、とか、ガス厳しすぎ、とか、そういうのは私は何も言わない。思わない。
2人に任せるよ。
とはいえね、ガス厳しすぎ?とか言いつつね、マリリン(ローレライ)とドロシーがやっと、せっかくパリに着いたのに、そこで突然資金援助やめるなんて、ガス、極悪〜と思ったのも事実なのである。
普通だったらもっとぶっちぎれで、二度と復縁はないよ?
でもガスはマリリンのことが大好きだから、愛することは金輪際やめられず、一旦送金をやめただけに過ぎない。
だから、もし私がマリリンだったら(すみません)パリに着いてやっとここから!って時に、そんなことになるのは心底ムカつくと思う。
そんな事実を知る前に、無敵で幸せの絶頂のマリリンとドロシーがパリでのショッピングをするシーンの描写が宝なのである。
GUERLAINとか。なんなら私は最近になってそのブランド名を認識した高級パフュームブランド。ゲラン。この時からあったんだ、というのと、BALENCIAGAの古いロゴ。懐かしい??のかもよくわからないけど、とにかくこの時代の映画でもパリの象徴として映っているブランドたちが、なくならず(私はこれが一番すごいと思う)、今のブランディングに拍車をかけるように描かれているあたり(もちろんそんなことは予測不可能、希望あるのみ)、時の試練に耐えた感がめちゃくちゃあるのでとっても信頼しちゃうのである。
時の試練よ、そんなもんは受けようと思っても受けれないし、受けたくても、受けてみても、跡形もなく無くなってしまうケースだって大いにあるのだ。
そんな中ね、私はテンションあがったよ。
2人がパリで死ぬほど買い物してるシーン、死ぬほど好き。
あと追記。
映画としては1953年公開?
かなり、私が最近数年間見た中で最古の映画かもしれない。
映画を見始めて、わりとすぐその古さを実感した。
なんか、これが正しいのかわかんないけど、マリリンが全部やってる!!!と思ったのが、それだったんですよ。
当時としては当然なんだけどさ、さらにこの作品がミュージカルであったという経緯(シカゴみたいなこと?)があったのも知らなかったけどさ、単純に、やば、マリリンが歌って踊ってるわ、って、のっけから思ったのよ。
だって、邦画であんまそんなんないじゃんね。
これはスタントとかCGとか、そういうんじゃなくて、生身の俳優が演じるんだって、だからこそ俳優がそれはもうそれなりに評価されるんでしょうよ、ってのを、最初のシーンから感じた。
あんなふうに歌って踊れる日本人の女優いる?
長澤まさみとかできる?
もしくはできるのに、邦画は(もしくは今の時代が)(もしくは映画会社が)(もしく視聴者が)(待ってこれはTeenage Circus)これをさせない?求めない?ということ?
謎が深まる。一周回ってこっちのほうがいいじゃん。生身でリアルで歌って踊ってくれ。それをカメラはアナログで収録して、頼むから誰もそれをいじってくれるな。
失敗したり、満足いかないのであれば、納得できるまで、声が枯れて痩せ細ってボロボロになるまで生身で勝負してくれよ、そっちのほうが、一見不健康そうに見えて、くそ健康なんだよ、と思った。
つまり、私はこの70年も前に作られた映画に映画の真髄を感じたし、現在のなんでもデジタルに頼っちゃう慣習がとてもいやだなと思ったし、華麗で美しくてさぞかし良い時代だったんでしょうね、と、本気で羨ましく感じた。
あと、俳優陣の演技のクオリティは、歌とか踊り含めて、今よりめちゃくちゃ高くて、今はもうかなう人なんていないんじゃないかと本気で思った。
イケメンって言われてるからって、演技がクソみたいなやついるやん?今、たくさん。
当時はそんなやつが芽を出す土壌じゃなかったんだなって思ったし、そっちのほうが、ずっとそうだったら、もっと世界中のアートカルチャーが発展したのだろうな、とも思った。
たぶん今はイケメンの素人に演技をやらせるよりも、AIにやらせたほうが速くて安くて省エネでみーんなハッピーなのだ。
70年前にみんなが自転車を一生懸命漕いで、監督も俳優も女優も、体ひとつで作り上げた、って作品がなんだか尊く感じました。
ありがとうマリリン。
新しい世界の扉をあけてくれたね。
もうちょっと他の作品も観てみます。
真相はわかんないけど、どっかのタイミングで、今私は心底幸せだと思える瞬間があればよかったね。
あったのかしら。なかったのかしら。
わたしたちみたいな酒気帯び人間には、たどり着けない心理なのである。
さらに追記。
このタイトルは、多分、今じゃ無理。と思った。


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